女は考えてる

 

 

日々生きてると

人間てただ生きてるだけじゃ

ダメなんだなって思う

 

 

 

考えなきゃいけなくて

悩まなきゃいけない

 

 

 

 

 

 

1つ神様に文句が言えるとしたら

なんで男と女を作ったのかということ

 

神様は快楽がお好きなんですね

 

 

 

 

まあでも

 

わからなくはない

 

 

 

 

でも別に分ける必要はないわな

 

 

いつか統合されると思う

神様も間違いに気づいた

 

 

 

 

ことだまが悪さする

 

 

いつもいつも色んなことを考えるけど

 

いいこともあれば

よくないこともある

 

 

毎日毎日良く考えるなと自分でも思う

 

 

 

 

 

 

弱気になる時もある

落ち込む時もある

 

 

弱音を吐くことが正しいのかどうかは分からないけど

 

言いたかったら言えばいいんだと思う

 

 

 

言霊って放った言葉そのものが力を持ってるって話だけど

 

力を持った言葉を内側に溜め過ぎると

自分にも影響してくるように思える

 

良くも悪くもね

 

 

 

 

やっぱりね

 

言いたいことが言えなくなるのは

苦しいし良くない方にしか傾かないと思う

 

 

 

 

 

 

弱る時

 

 

 

気づいた

 

 

最近自分に自信がない

 

よくない

 

 

 

 

 

今までもあったわけじゃないけど

 

自信がもてる部分を探して

自分を信じてそう振舞っていた

 

 

自分で自分を信じないで誰が信じてくれるのか

 

自信もない発言に誰が耳を傾けてくれるのか

 

 

 

 

 

でも最近、本当に自信がない

 

 

 

 

 

 

 

進めるのが遅い

意識が低い

センスがない

根性が足りない

やる気が感じられない

 

 

そんなことは自分が1番分かっている

 

焦ってる、自分を追い込んでる、分かんないことばっかりだけど必死に考えてる

 

それでも上手くいかないことはあるどうしたらいいかわからないこともある進めたくても進まないこともある

 

じゃあどうしたらいい?

 

 

 

そこを教えてくれよ

 

 

頑張ってるのに否定され上手くいかない

自信はなくなるのにやる気は出し続けないといけない

 

 

 

 

 

信じてはいるし正しいとも思ってる

けど疑問が湧くこともあって

間違ってると思う時もある

 

 

 

 

褒めろとは言わない思わない

 

葛藤して成長しろというのも分かる

 

 

 

 

ただ否定すればいいというものでもない

それだけでやる気が出たら困らない

 

 

弱気になる時もある

弱音が吐きたい時もある

 

 

 

 

 

それでもその中で葛藤の中でもがき苦しみながらまた信じられる部分を見つけて

自信にしていくしかないんだろう

 

 

 

 

自分もまだまだなんだ

 

 

 

 

特に意味がない

 

 

最近生きるのに必死で時間が空いてしまった。

 

また東京に行った

f:id:yk8_omg370:20161127161025j:image

f:id:yk8_omg370:20161127161043j:image

f:id:yk8_omg370:20161127161056j:image

f:id:yk8_omg370:20161127161107j:image

 

 

東京から帰ってきてから

デザインウィークの事故があった

調べてたら男の子のご遺体が

はっきり写っている写真を見てしまって、

言い切れない気持ちと改めてメディアとの

向き合い方を考えたし、

 

学生の作品ということで

私達も同じ位置にいること

向き合わないといけないことを実感する。

 

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

その後は卒業設計の敷地調査もこめて

名古屋から栄にかけて散歩

 

f:id:yk8_omg370:20161127161126j:image

 

円頓寺商店街で古本市に出くわす

 

なんだろういい風景だった

 

駅からそんなに近くなくても

人って集まるのね

 

 

 

あとは研究室企画の講演会があったり

フットサル大会があったり

 

って感じか。

 

 

 

時代や社会の流れとか、地元の街、

建築関係の大人たち、

 

あと、何気ない毎日にも人間関係は常に変化しつづけるということ

 

色々と考えることが多かったなあ

 

 

 

 

 

ちょっといつも以上にぐちゃぐちゃしてるかも

 

ゆっくり整理していこ

書ききれないや

 

 

 

まだ見えてないところの話

 

 

 

私はFランクと言われる某工業大学の邪な建築学生です。

 

広大な田舎のキャンパスでもう3年半を過ごし終えましたが、未だ建築という言葉に今いちピンときていません。

 

 

空間という曖昧な言葉が好きです。

 

それとデザインが好きです。

 

 

建築というものを知らずにぺーぺー言ってる感じですがあながち間違ってません。

 

私なりに取捨選択してきて

 

建築学生としては偏った思考をしている気がするのは薄々感じていますがそれなりに勉強してきたつもりではいます。

まだまだであるのは置いておいて。

 

 

今まで人生の選択に(言っても20年と少ししか生きてはいないですが、)後悔をしたことがありません。

 

間違いなく自分のプラスになってると思えるからです。

もし後悔をするとしたら老後ぐらいじゃないかと思ってます。

 

 

むしろここからどうなるのかを畏れながらもとても楽しみにしています。

 

 

 

 

そろそろ本題に入るのですが、

 

私は正直に言うと建築というものが好きかと聞かれたら答えられないです。

 

昔から服が好きでした。

服を作りたいと思ってました。

 

 

でもなんとなく専門学校には行きたくなくて四大に行くことを選択します。

 

でも塾には行ってないし周りの仲がいい人とかにも大学に行った人はいなくて、大学というものをよく分かってなかった。

 

大学なんて結局どこも一緒だろうと、

学校なんてものはその人次第で学ぶことは違うし、楽しむも成長するも関係ないと思ってました。

 

 

今思うと間違ってなかったなって。

 

ただ、うちの研究室の教授に出会えたことは不可欠ではあります。

決していい教授ではないんですが。

 

 

 

ずっと服が好きで、建築を見に行くよりも服を見て、着ていたい方が強い邪な学生です。

 

それでも教授に会ってうまくは言えませんが建築のおもしろさを学んだ気がします。

 

 

それを踏まえても服に対する愛情は変わらなかったですね。

今も毎朝準備には時間がかかります。

 

ただ、

 

理系から受験してやっぱり何かを作りたいという思いから消去法で建築を選んで今の大学を選んで上手く行かないことが多すぎる中で建築を学んだことは大事にしたいと思っています。

 

 

建築と出会ったから今の自分があることには確信しています。

 

それを大事にしたうえで服を作りたいと思うようになりました。

 

 

 

そして最近気にしているのが

 

なんで自分は服を作りたいのか。

 

 

好きだからだけではない気がして

これから卒業設計を進める中で導いていきたい考えですね。

 

服と建築の間ってなんだろう?

 

 

 

わからないけどそっちに進んでみたい。

 

これは高校受験くらいからある私の野心かなって思ってます。

 

 

 

この野心が私を幸せにしたかしなかったかは

老後の答え合わせを楽しみにしながら今後40年くらいかな?過ごしていきたいですね。

 

 

 

 

私の投資。

 

 

クリエイティブはクリエイティブの中にしか生まれない?

 

デザインをしたい人がデザインされてないものを持っていてアイデアが生まれるんだろうか

常に刺激を求めて新しいを求めて

 

ファッション、ヘア、メイク、ネイル、部屋に車、気分でさえ

指の先から心の中までクリエイティブ

 

好きなデザインに囲まれていれば

アドレナリンが出て気分が上がって刺激を受けて自分に還元される

 

そのパワーは巡り巡って手に宿る

新しい物が出尽くしても合わせて合わせて

今までなかったになるように

 

いつかどこかの記憶が

私の中でかき混ざってクリエイティブを生み出してくれると信じてる

 

 

毎日は刺激だらけ

刺激を与えてくれない人には正直言って興味ない

 

興味がないのが態度にも出るし

だから私は友達が少ないんだけど。

 

そう思うと

刺激を求め過ぎるのも良くないのかもしれないな