見失いがち

 

 

革新的な働き方をしているデザイン事務所はないのか

 

革新的な会社のオフィスをデザインを革新的のかの字すら分からない人たちがなにをデザインできるのだろうか

 

 

会社として安定するため、社員に給料を払うため、仕事を取り続け、朝から深夜まで働き、自分たちはずっと変わらないまま

 

目を背けているのか、考えていないのか、変わるのがこわいのか、ただ満足しているのか

 

 

デザインは求められてる

依頼はもちろんき続けるだろう

 

でもそんな人たちがしてるのはデザインじゃないんじゃないか

 

 

デザインは廃るかもしれない、流行は変わるかもしれない、もてはやされるのは一時かもしれない

 

プロジェクトを進めるためには期限があって、死ぬほど考えようが、実際やってみようが、ただ机で手だけを動かしていようが、デザインは決まっていく

 

育てる余裕もなく、新卒社員に仕事を投げる

確かに成長するかもしれない

荒波に揉まれながらノウハウを身につけていく

 

でもそのプロジェクトは本当にデザインしきったものになりうるだろうか?

 

 

 

天才的な建築家でさえ、デザインを生み出す時はうんと苦労するだろうことは新卒社員にだって分かる

 

何十年とデザインと向き合ってきたプロたちですら悩んで悩んで決めることを何も知らない新卒社員に任せれば、今まで得てきた知識や感性でデザインするしかない

 

いくら監督していようが、新卒社員には到底分からないことだらけだろう

 

授業課題なら、教えずに苦労させても成長するし、誰にも迷惑はかからない

 

しかし実際お金が発生する仕事として引き受けていて、会社の代表として監督している以上、持っているものや出すものには責任をもつべき

 

 

 

線路を引かずとも明かりとなれば、導くことができ、目指すことができる

 

ただ真っ暗の中もがくのには、何も知らなすぎる

手の使い方目の使い方鼻の使い方、ましてや足の使い方すら知らない

 

放っておいて育つのには時間が必要になる

 

 

 

 

 放っておかれたり導かれたりするよりも

一緒に作っていく、変わっていくことができる会社がいい

 

 

口で言うのは簡単で、実際に作るのは難しいかもしれないけどそこをデザインするのがデザイナーだと思う

 

デザイナーは働き方をデザインし、

建築家は働き方をデザインすべきではないか

 

 

人生は働くことじゃない

働くことは人生のたった一部にすぎない

 

 

 

デザイナーは自分の人生をデザインし、

それを自分のデザインとして社会に示す、

自身の事務所に示す、クライアントに示すべきではないか

 

そんな人から出てくるデザインはきっと素敵なものになり得る