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建築家はいらない?

 

 

 

 

建築は主張すべきでない?

 

建築家に個性はいらない?

 

 

 

建築家は自己主張が激しいイメージがある

 

これまでの建築がこうであった

だがこれからはこうあるべきである

 

そんな風には言ってないかもしれない

 

僕はこう思ってる

ぐらいにしか言ってないかもしれない

 

 

 

未来のことなんて分からないのに

なぜ語ろうとするのかとも思うが

建築というのは寿命が長いが故に

ある程度は未来を許容できなくてはいけない

 

私の周りでは最近、

「負ける建築」

が割とホットワードというか

時々耳にするんだけど

 

 

もし仮に負けるべきであるとするならば、

果たしてそこまで建築を考える必要があるのかと思うわけですね

 

とは逆に、建築は空間を囲み、空間を生み出したり守ったりすると同時に人間の文明を表す一種の要素であると捉えるならば負けすぎてもいけないとも思える

 

昔の街並みが愛でられることがあるように現代もまた、現代に見合った建築を作るべきではないのかと思う

 

 

それがもし負ける建築であるのだとしたら

バブル期が勝つ時代で、今のような言うなればさとり期は負ける時代?

 

全ての物に固執せず、主張しすぎず、歩調を合わせ、無難にシンプルに

 

それもまた現代の個性となり得るのかな

 

これから数十年後、どういう時代が来るのかは分からないけれど、現代がもし影に隠れてしまったなら、私は悲しいと思う。

 

 

 

答えはわからない。

誰にもわからない。

 

 

けれど人は何かを訴えるために生まれてきて

それが積み重なって今があって

それが続いていって未来があるのだとしたら

何かは残っていってほしいものである。

 

 

主張せずとも、確にここに在った

私たちの生き方が

 

数百年先にも在ってくれたらいいと思う