弱る時

 

 

 

気づいた

 

 

最近自分に自信がない

 

よくない

 

 

 

 

 

今までもあったわけじゃないけど

 

自信がもてる部分を探して

自分を信じてそう振舞っていた

 

 

自分で自分を信じないで誰が信じてくれるのか

 

自信もない発言に誰が耳を傾けてくれるのか

 

 

 

 

 

でも最近、本当に自信がない

 

 

 

 

 

 

 

進めるのが遅い

意識が低い

センスがない

根性が足りない

やる気が感じられない

 

 

そんなことは自分が1番分かっている

 

焦ってる、自分を追い込んでる、分かんないことばっかりだけど必死に考えてる

 

それでも上手くいかないことはあるどうしたらいいかわからないこともある進めたくても進まないこともある

 

じゃあどうしたらいい?

 

 

 

そこを教えてくれよ

 

 

頑張ってるのに否定され上手くいかない

自信はなくなるのにやる気は出し続けないといけない

 

 

 

 

 

信じてはいるし正しいとも思ってる

けど疑問が湧くこともあって

間違ってると思う時もある

 

 

 

 

褒めろとは言わない思わない

 

葛藤して成長しろというのも分かる

 

 

 

 

ただ否定すればいいというものでもない

それだけでやる気が出たら困らない

 

 

弱気になる時もある

弱音が吐きたい時もある

 

 

 

 

 

それでもその中で葛藤の中でもがき苦しみながらまた信じられる部分を見つけて

自信にしていくしかないんだろう

 

 

 

 

自分もまだまだなんだ

 

 

 

 

特に意味がない

 

 

最近生きるのに必死で時間が空いてしまった。

 

また東京に行った

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東京から帰ってきてから

デザインウィークの事故があった

調べてたら男の子のご遺体が

はっきり写っている写真を見てしまって、

言い切れない気持ちと改めてメディアとの

向き合い方を考えたし、

 

学生の作品ということで

私達も同じ位置にいること

向き合わないといけないことを実感する。

 

 

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

その後は卒業設計の敷地調査もこめて

名古屋から栄にかけて散歩

 

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円頓寺商店街で古本市に出くわす

 

なんだろういい風景だった

 

駅からそんなに近くなくても

人って集まるのね

 

 

 

あとは研究室企画の講演会があったり

フットサル大会があったり

 

って感じか。

 

 

 

時代や社会の流れとか、地元の街、

建築関係の大人たち、

 

あと、何気ない毎日にも人間関係は常に変化しつづけるということ

 

色々と考えることが多かったなあ

 

 

 

 

 

ちょっといつも以上にぐちゃぐちゃしてるかも

 

ゆっくり整理していこ

書ききれないや

 

 

 

まだ見えてないところの話

 

 

 

私はFランクと言われる某工業大学の邪な建築学生です。

 

広大な田舎のキャンパスでもう3年半を過ごし終えましたが、未だ建築という言葉に今いちピンときていません。

 

 

空間という曖昧な言葉が好きです。

 

それとデザインが好きです。

 

 

建築というものを知らずにぺーぺー言ってる感じですがあながち間違ってません。

 

私なりに取捨選択してきて

 

建築学生としては偏った思考をしている気がするのは薄々感じていますがそれなりに勉強してきたつもりではいます。

まだまだであるのは置いておいて。

 

 

今まで人生の選択に(言っても20年と少ししか生きてはいないですが、)後悔をしたことがありません。

 

間違いなく自分のプラスになってると思えるからです。

もし後悔をするとしたら老後ぐらいじゃないかと思ってます。

 

 

むしろここからどうなるのかを畏れながらもとても楽しみにしています。

 

 

 

 

そろそろ本題に入るのですが、

 

私は正直に言うと建築というものが好きかと聞かれたら答えられないです。

 

昔から服が好きでした。

服を作りたいと思ってました。

 

 

でもなんとなく専門学校には行きたくなくて四大に行くことを選択します。

 

でも塾には行ってないし周りの仲がいい人とかにも大学に行った人はいなくて、大学というものをよく分かってなかった。

 

大学なんて結局どこも一緒だろうと、

学校なんてものはその人次第で学ぶことは違うし、楽しむも成長するも関係ないと思ってました。

 

 

今思うと間違ってなかったなって。

 

ただ、うちの研究室の教授に出会えたことは不可欠ではあります。

決していい教授ではないんですが。

 

 

 

ずっと服が好きで、建築を見に行くよりも服を見て、着ていたい方が強い邪な学生です。

 

それでも教授に会ってうまくは言えませんが建築のおもしろさを学んだ気がします。

 

 

それを踏まえても服に対する愛情は変わらなかったですね。

今も毎朝準備には時間がかかります。

 

ただ、

 

理系から受験してやっぱり何かを作りたいという思いから消去法で建築を選んで今の大学を選んで上手く行かないことが多すぎる中で建築を学んだことは大事にしたいと思っています。

 

 

建築と出会ったから今の自分があることには確信しています。

 

それを大事にしたうえで服を作りたいと思うようになりました。

 

 

 

そして最近気にしているのが

 

なんで自分は服を作りたいのか。

 

 

好きだからだけではない気がして

これから卒業設計を進める中で導いていきたい考えですね。

 

服と建築の間ってなんだろう?

 

 

 

わからないけどそっちに進んでみたい。

 

これは高校受験くらいからある私の野心かなって思ってます。

 

 

 

この野心が私を幸せにしたかしなかったかは

老後の答え合わせを楽しみにしながら今後40年くらいかな?過ごしていきたいですね。

 

 

 

 

私の投資。

 

 

クリエイティブはクリエイティブの中にしか生まれない?

 

デザインをしたい人がデザインされてないものを持っていてアイデアが生まれるんだろうか

常に刺激を求めて新しいを求めて

 

ファッション、ヘア、メイク、ネイル、部屋に車、気分でさえ

指の先から心の中までクリエイティブ

 

好きなデザインに囲まれていれば

アドレナリンが出て気分が上がって刺激を受けて自分に還元される

 

そのパワーは巡り巡って手に宿る

新しい物が出尽くしても合わせて合わせて

今までなかったになるように

 

いつかどこかの記憶が

私の中でかき混ざってクリエイティブを生み出してくれると信じてる

 

 

毎日は刺激だらけ

刺激を与えてくれない人には正直言って興味ない

 

興味がないのが態度にも出るし

だから私は友達が少ないんだけど。

 

そう思うと

刺激を求め過ぎるのも良くないのかもしれないな

私の手

 

 

最近、自分の手から

情報が溢れるようになってきた

 

 

 

 

うまく掬えない

 

 

掬っても溢れて

 

 

指の隙間から溢れる

 

 

 

 

歳を重ねて色んなものが見えるようになって

入ってくるものが多くなったのに

どんどん時間はなくなって

興味は全く潰えてないのに

諦める癖がついてきたのかもしれない

 

多くなりすぎる情報を追い続けるのは結構骨が折れる。

 

 

夢と人生のテーマ

世の中には頑張ったほうがいいことの方がきっと多い。お利口さんは得をする。でも頑張った分だけ返ってくる保証もない。時には頑張らなくても良いことだってある。お利口じゃなきゃいけないなんて法律はない。だからといって非行に走ると損をする。間違う時だってある。気付いたら正解な時もある。誰にも分からないし誰にも語れない。

 

ストレスを感じるために生まれてきたんじゃない。幸せになるために生まれてきた。

早く結婚して家庭を築くのが幸せな人もいる。

キツいけど好きな仕事をして幸せな人もいる。

けして好きではないけど家族のために頑張って働くのが幸せな人もいる。

何にも縛られず世間にも流されず思うままに生きるのが幸せな人もいる。

本人が幸せなら他人に何と言われようとそれがその人の人生の正解で、他人のものさしではかるものじゃない。

 

 

やりたいようにやらなきゃ。

美徳とか、伝統とかいいものは多いけど

知らないうちに学んできた誰も決めてないルールは守らなきゃいけないものばかりじゃないから、ちゃんと自分の頭で考えて選ばないといけないんだろう。

 

 

誰かに言われたことに従ってあなたは幸せになれますか?

 

言いたいことも言わないで、やりたいこともやらないで、あなたがここに生きていた証はなんでしょう。生きていた意義は?価値は?

 

 

 

 

 

 

私の幸せは。

 

 

 

 

大金持ちになりたいとか有名になりたいとかそんなことには興味がなくて、やりたくてやったことが生み出した何かが誰かに共感してもらえて誰かにとって大切なものになってくれたらいい。残した何かがその人の中で小さな感情の種になったらいい。その人の人生を少しでも豊かにしてくれたらいい。

 

それが今の私の夢

 

そう思ったら、こうして発してる言葉や考えが夢を叶えてくれているかもしれない。そうだったら嬉しい。

 

 

これからも私は私の幸せのために生きたい。